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【書評】えっと・・・「バカ」って、なんでしたっけ?? 『バカのための読書術』 小谷野敦 著 

 

バカのための読書術 (ちくま新書)

バカのための読書術 (ちくま新書)

 

 

 

 

私は「難解な哲学などわからない」という人にはかなり同情をよせているし、自分自身そういうバカである可能性も否定できない。けれど、私は「無知」とか「怠惰」に対しては極めて厳しい。

 

『バカのための読書術』 「序言 ―バカは歴史を学ぶべし―」より

 

 

 

 

もてない男を代表作にもつ、小谷野敦先生による読書指南

 

 

「従来の読書術本に一冊付け加える資格があるとするならば、著者自身が『難しい本』を理解できない『バカ』だからだ」…というようなことが、本の表紙に書いてある。

 

 

「なるほど、それじゃあ、この本は『バカ』だけど頑張って本だの論文だの書いてる人が、自分たちと同じ土俵に降りてきて、いろいろ教えてくれるやさしい本なんだ!』・・・なんて思いながらページをめくると、えらい目にあわされます。

「バカ」を自覚している人間は完全に自身を喪失し、読書に対する意欲は雲散霧消してしまうことでしょう。

 

 

まず、上に挙げた序言よりの引用に見るとおり、著者の想定しているバカは極めて知識欲が強く、なおかつすでにある程度の知識は持っているにも関わらず、「頭がいい」とされる人たちのいうことはわからん、みたいな人間のことを指す。

構造主義」とか、「脱構築」とか、「ポストモダン」とか、頭のいい人たちはとにかく変な言葉を使って文章を書きたがるので、そういう「バカ」たちが存在するのは仕方ない。だが、それに対して「こんなもんわかんねえ。もういいや」として、努力もせず投げ出してしまうようなバカに対して著者は「犯罪的だ」とまで言って、軽蔑の念をあらわにするのである。お、おっかねえ…

 

 

この本が想定するところの「バカ」のレベルの高さを象徴するのが、「本邦初 『読んではいけない』ブックガイド」である。

いわゆる「バカ」が読んでも決して理解できないような本を挙げ、読者の無駄な労力の節約に一役買おうというものなのだが…バタイユの『エロティシズム』とかブランショの『明かしえぬ共同体』とか…い、いやいや!バカはこんなの絶対読まないと思いますYO!

 

 

ほかにも丸谷才一の『忠臣蔵とはなにか』とか、中沢新一の『森のバロックとか夢野久作の『ドグラ・マグラ』にはじまる日本三大奇書とか…バカが聞いても「?」となるに違いない著作が目白押しだ。いや、そこで「?」ってなっちゃうレベルのバカは、そもそも歯牙にもかけられていない、ということなのだろうが…

 

 

だが、現代の「バカ」は、小谷野氏がこれを著した2001年と比べて、さらに、はるかに堕落しているのである。スマホの普及により、いつでもどこでも膨大な情報にアクセスできるようになった現代では、「知識」というものが軽蔑されつつある。漱石を高校の授業でしか読んだことのないような大学生が卒論のテーマに「それから」を選んだり、谷崎潤一郎の名前を知らない若者が文学部日文研究科の大学院に進学したり…もはや、そんなことが珍しくない時代なのだ。

 

 

今や、彼らにとっては文学や哲学の知識に通じているよりも、「モンスト」の降臨キャラに対してどのモンスターの適正が高いかとか、「パズドラ」のゴッドフェスではどのモンスターを狙うべきなのだとか、そんなことをしっかり知っている方が、はるかに評価され、尊敬されるのである。

 

 

そんな、「バカ」が堕落した時代を生きる我々にとって、この本はなかなかに耳が痛いものがある。著者の書き方には、割と辛辣なところもあって、「バカ」を自覚している人は「うわあ!読書ってこえぇ!」と、逃げ出したくなってしまうこともあるだろう。

 

 

だが、それにたじろがず最後まで読み終えた時、体の中に一種のファイトがわいてくるのを感じる。「なにくそ!」という気持ちが、あなたの読書欲を高めてくれること、請け合いである。しかも、最後まで読み終えた読者に小谷野氏が提示してくれる「バカのための年齢、性別古今東西小説ガイド」はかなり良い本を紹介してくれている。僕はこの本を20になるやならずやの頃に読んだが、ヒマと活力だけはあった大学生のこの時期に、これを読めてよかったと思っている。

 

 

厳しい中にも、著者のやさしさのようなものが光る本著。「バカ」を自覚しつつもガッツに自身のあるあなたは、ぜひ、読んでみてはいかがだろうか。

 

 

 

バカのための読書術 (ちくま新書)

バカのための読書術 (ちくま新書)

 

 

【書評】戦後日本を冷えた眼差しで、感傷的に描く。『誰か故郷を想はざる -自叙伝らしくなく』 寺山修司 著

寺山修司がそれほど好きではなかった。
 
 
いや、正確に言うと、今もそれほど好きではない。なんだか、エッセイを読んでいても、戯曲を読んでいても文章の端々に「こんな俺、かっこいいやろ?」みたいなドヤ顔が透けて見えるようで、なかなか好きにはなれないのだ。
 
 
そんな僕だが、ごく稀に、なんだか寺山修司が読みたくなる時がある。昨日もまた、唐突にその感に襲われたので、一昨年くらいに古本屋で買って放置していた『誰か故郷を想はざる』を読んでみることにした。
 
 
 
 
この本は、寺山修司の自叙伝という体をとって進行する。だが、副題に「自叙伝らしくなく」とつけられている通り、語られるのは寺山自身の人生ばかりではない。むしろ、寺山自身を傍観者として、第二次世界大戦終戦直後の日本を生きた様々な人々の生活を描く「群像劇」としての側面が強いような気がする。
 
 
第二次世界大戦直後と言えば、当時の日本の状況は言うまでもなく悲惨である。街は滅茶滅茶に破壊され、食べる物もロクになく、これまで自分たちを支えていた勝利への希望も、もはやない。言うなれば、国民全員が超絶負け組モードなんである。
 
 
そんな中で彼らは、戦勝国であるアメリカの兵士におもねって菓子やタバコをねだったり、耐えがたい空腹を癒すためにセミを調理して食べたり、博打に没頭したり、見世物小屋での労働に身をやつしたりする。
 
 
そんな人々の生活を極めて客観的に、冷たい筆致で描く本書からは、「強く生きる」ということへのポジティブさも感じられない代わり、「敗者として生きる」ということへのネガティブさも感じられない。
 
 
ただ、人々は、刻一刻と過ぎて行く目の前の生を享受する。そんな中で、死ぬ人間もいれば、生きる人間もいる。
 
 
安直な希望や絶望への信仰を放棄した人々の生き様と、寺山修司特有の冷たく、それでいてどこか感傷的なかっこいい文体との調和が、読んでいて心地よい一冊であった。
 
 
もっとも、エピソードの最後を他者の本からの引用で締めるようなやり方は「カッコつけてるなぁ」と感じて相変わらず好きになれなかったのだが。その中で一つだけ、異常に気に入ってしまった文章があった。有名な作家の本からの引用ではない。寺山と同じ小学校に通っていた生徒が残した、遺書からの引用である。
 
 
ピアノを習っていた彼は、「ショパン」と「ションベン」をあわせて、皆からからかい半分に「ショベン」と呼ばれていた。そんなショベンだが、乳癌で母を失ってしまったことにより、自殺する。今回はちょっぴり本書をリスペクトして、引用を最後に持ってきてみたいと思う。
 
 
彼の遺書には、次のように書かれていたらしい。
 
 
 
「ぼくは、母さんの遺品の指輪をはめて自慰するときしか、勃起しませんでした。あの、つめたい金属の指輪がぼくのとこすりあってしだいに熱くなってくるとき、ぼくは母さんと一緒になっているように感じました。
お母さん、ぼくはあの大切な指輪を今日、失くしてしまいました。すみませんでした。
もう生きてるたのしみもないので、お母さんのところへ行きます。学校のみなさん、いろいろとありがとうございました。」
 
 

 

『誰が故郷を思わざる』角川文庫版   P73〜74「自慰」より
 
 

【書評】もう我慢して本を読む必要はないのか?『読んでない本について堂々と語る方法』 ピエール・バイヤール 著

 

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

 

 

 
 
私はジョイスの『ユリシーズ』を一度も読んだことはないし、今後もおそらく読むことはないだろう。したがってこの本の「内容」はほとんど知らないといっていい。しかし位置関係はよく知っている。
 
ーP34  「ぜんぜん読んだことのない本」より
 
 
 
 
 
昔読んだエッセイの中に「基本的に読書は辛い。」というようなことが書かれていた。そのエッセイの作者はかなりの読書家として知られている人だったのだが、そんな彼でさえ、あとどれくらいで終わるのかを気にしながら読む本がほとんどだと言うのだ。それを読んだ時、僕がどれほど勇気付けられたか分からない。なぜなら、僕もまた、退屈な思いを噛み殺しながら読書に臨む人種だからである。
 
 
なぜわざわざ退屈な思いを我慢して本を読んだりするのだろうか。スマホでゲームをしたり、漫画を読んだり、絵を描いたりしている方が何倍も楽しいのに。もちろん、読書ならではの楽しさというものもあるにはあるが、やはり「読書」という行為に付きまとう「教養」の二文字が、僕のようなエセ読書家を読書につなぎとめる重要なファクターとして働いていることは否定できないだろう。
 
 
僕のような人間にとって、読書は目的ではなく、教養や知識を得るための手段である。つまり、本を読まずに内容を知ることができれば、あるいは、内容について語れるようになれれば、それに越したことはないのである。
 
 
 

読んでいない本について語ることは可能か?

 
 
そんなこんなで手にとってみたのがこちら、『読んでいない本について堂々と語る方法』だ。項数は250ちょっとくらい。僕は2日かけて読んだが、普段から活字に親しんでいる人なら1日で十分読める量だと思う。
 
 
それで、肝心の内容なのだが、これは普段から読書をしない人がいきなり「読んだことのない本」についてスラスラ語れるようになるというような魔法の本ではない。むしろ、一定程度以上の読書経験がある人間に対して書かれた本、という印象が強い。
 
 
本書の語る主張を簡潔にまとめるならば、「本を読むより、本を位置付けろ!」ということである。つまり、一項も読んだことがなくとも、その本がどの時代のどの分野にどのような影響を与えたのかというような「本の位置関係」さえ分かっていれば、それについて語ることは十分にできるし、気後れする必要もない、ということだ。
 
 
この主張に共感できるかどうかが、読者にとってのこの本の評価の分かれ目だと思う。「ぶっちゃけそれって、本読むよりしんどくね?」と感じる人や、純粋に本を読むことが好きでたまらないという人にとっては、あまり読む必要のない本なのではないだろうか。逆に、この作者の主張に対して共感できる人なら読んでみる価値はある。特に、読書に対する信仰や真面目さから、「だいたいどんな本か知ってるけど読んだことはない本」を語ることに引け目を感じてしまうような人ならば、本書によって大いに勇気付けられるはずだ。
 
 
作者自身、フランスの大学で文学教授を務めるほどの知識人であるにも関わらず、自分は読んだことのない本について教壇の上で堂々と語っていると宣言しているし、そのようなことは、知識人と言われるような人ならば皆やっているということを実例を交えつつ、教えてくれる。まぁ、例を小説の中から引っ張ってくるのに関しては「フィクションの話してどないすんねん」と思わないでもないが、時折虚構の話を混ぜることで本としての面白味が増し、読みやすくなっているのは確かだ。
 
 
文体も明確でわかりやすいので、読むのにそれほどエネルギーも使わないと思う。読書は好きだけど本読みと話すのは怖い。そんな人に、是非おすすめしたい一冊である。
 
 
とりあえず僕はドラえもんにでも頼んで、この本を小説神髄とか罪と罰とかを苦しみながら読んでいた大学時代の自分のところに送りつけてやりたいと思うのであった。
 

 

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

 

 

【書評】現実に逃げるな。二次元と向き合え。『電波男』 本田透 著

 

電波男

電波男

 

 

 

 

 

オタクは現実に勝ったあああっ‼

 

ーP2 「まえがき」より

 

 

 

 

時は2005年。

 

 

世間では「イイ女がオタク男を脱オタさせてイケメンにしてイチャラブする」という筋書きの「電車男」がはやりまくっていた頃、その流行に「待った!」をかけた漢がいた。それこそが、俺がひそかに師と仰ぐ本田透大先生である。今回紹介する電波男は、まさしくその名のとおり、『電車男』流の「脱オタ=正義」という価値観に真っ向からケンカを売った快作だ。

 

 

本書の内容を簡単に説明すると、すさまじいまでにモテないキモメンニートの著者・本田透が(実際にはニートではないのだが)自分を虐げ続けた女に対する怨念を爆発させつつも、「三次元(現実)の恋愛>>>(越えられない壁)>>>>二次元(空想)の恋愛」という従来の常識を全破壊し、「二次元の恋愛>>>>>>>>>(越えられない壁)>>>>>>>>>>>>三次元の恋愛」という斬新な価値観を、古き良きオタクならではの膨大な知識量を武器として高らかに宣言しまくるといったもの。

 

 

とにかく、三次元恋愛に対する筆者の思い切りっぷりが実にステキで、本田氏にとって三次元嫁が二次元嫁に勝る点など、部屋の掃除をしてくれるか否か程度のことに過ぎないというのだ。「恋愛など、電通による洗脳だ!」と言い切る本田氏は、三次元女を「コストがかかる、スペースをとる、チェンジがきかない、経年劣化する、中古市場である」など、もう言いたい放題。いいぞもっとやれ。

 

 

正直、この本は内容の面白さはともかく、論旨としては賛否両論別れるらしい。中でも「否」派の意見として一番多いのは、本田氏がまるで自分をオタクの代表・すべてのオタクの代弁者のようにして語っているところが気に食わない、というものだ。

 

 

つまり、オタクの中でも本田氏がごとく女性に対して恐竜のような怨念を持ち合わせている者はごくごく一部に過ぎず、そんなイレギュラーの立場から「オタクは現実に勝った」とか言われてもそれはちょっと…ということである。

 

 

例えて言うならあれだね。サイコミュ搭載型ザクが「ザクもそろそろ、ニュータイプに合わせて品種改良していくべきじゃね?」とか主張した結果、エルメスジオングのみならず、同じザク族からも袋叩きにあってる感じだね。「テメエ、試作型の分際で語ってんじゃねえぞ!」ってね。あとはやっぱり、本田氏自身が「顔・金・セックス」でしか男を判断しない女どもの悪口を思いっきり言いまくってる半面、自分は自分で不細工な女や年くった女を思いっきり差別しまくってるところなんかも、気に入らない人にはとことん気に入らないんじゃないかな、と思う。

 

 

でもまあ、論旨とか主張の正しさとか、そんなもんこの際どうでもいい。妬みで本書いてもいいじゃない。嫉みで本書いてもいいじゃない。面白かったら、もうなんだっていいじゃない!そう思わせてくれるだけの「圧倒的な勢いと面白さ」が、この本にはあります。個人的にお気に入りの箇所をいくつか抜き書きすると

 

 

 

「キモメン・ニート・オタク」

 

この三つの属性を持っている人間を、俺は「第一級恋愛障害者」に認定するね!当然、俺自身が認定第一号だ!給付金よこせ、おらぁ!(第一章-1「モテない男の現状」より)

 

 

蛇っ…!蛇っ…!恋愛資本主義は、狡猾な蛇だ。「オタクの犯罪性」を報道し続け、オタクを「一種の人格障害」であると印象付ける操作を片手で行いながら、もう一方の手では「脱オタすれば、美人と恋愛ができる」と囁きかける。だが、俺は騙されない。(第二章-1「『電車男』に騙されるな!」より)

 

 

もう言うまでもないだろう。

二次元の住人になるんだっ!

「現実を見ろ!俺達にはもう、二次元しかないんだ!」

アニメを見ろ!同人誌を読め!ゲームで遊べ!

「俺がこのキャラと恋愛するとしたら」と、ひたすら妄想しろ!(第4章―1「起こせ!萌えレボリューション」より)

 

 

 

 

…などといった調子。

 

いかがだろうか?はっきり言って、合わない人にはどこまでも合わないどころか、嫌悪感を抱かせることすらあるかもしれない。だが、合う人にはどこまでも合う。名著とはそういうものではないだろうか。実際、自分はこの本を多感な高校生の頃に読んでしまった結果、感化されすぎて、10年以上経った今でも女性に対する思いは歪んだままです。どうしてくれるんですか本田先生。

 

 

「モテない」ということに引け目を感じている君!女性に対して怨念を募らせている君!アニメや漫画が好きなのに、やはりどこか「オタク趣味はキモイ」という固定観念に縛られている君!そして、単純に面白い本を読んで大笑いしたい君!

 

 

そんな君は、今すぐ『電波男』を読もう!

 

 

ウェルカム・トゥ・アンダーワールド

 

 

 

電波男

電波男

 

 

 

【書評】初心者でも楽しめる日本語ラップの歴史書『MCバトル史から読み解く 日本語ラップ入門』DARTHREIDER著

 

 

MCバトル史から読み解く 日本語ラップ入門

MCバトル史から読み解く 日本語ラップ入門

 

 

 

ヒップホップに幸あれ!

 

ーP179 あとがき より

 

 

 

 

最近、日本語ラップの世界が元気だ。

 

 

理由はもちろん、Abem  TVで火曜日深夜に放映されている「フリースタイルダンジョン」の大当たりにあるだろう。ラッパー同士がトラックに乗せてお互いの悪口ラップを即興で言い合う、「フリースタイルバトル」を主題としたこの番組が当たったことで、これまでどちらかというとアングラなイメージがあったジャパニーズヒップホップが、一気に知名度を獲得したように思える。

 

 

さらに、先日はフリースタイルダンジョン発のユニットがミュージックステーション出演を果たすなど、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのジャパニーズヒップホップだが、今回紹介する『MCバトル史から読み解く  日本語ラップ入門』は、そんなヒップホップのシーンに約20年に渡って関わり続けた著者、DARTHREIDER(ダースレイダー)氏による、格好の「日本ヒップホップ史」入門書だ。

 

 

フリースタイルダンジョン」などの視聴を通して、ジャパニーズヒップホップに興味を持ち始めたような方に、特におすすめしたい一冊である。

 

 

 

「ラッパーになりたい人」よりも「ラッパーのことを知りたい人」向け

 

 

 

「入門書」の形をとっている本書だが、いわゆる、「ラッパーとしてのスキルを一からレクチャーしていく」というタイプの本ではない。もちろん、踏韻をはじめとした技術面に言及する部分もたくさんあるのだが、それよりもむしろ、「日本語ラップの世界はこれまでどのような道を歩んできたのか?」という点にフォーカスして書かれた、「史書」としての印象が強い本である。

 

 

だが、こういったタイプの本にありがちな退屈さとは一切無縁で、読んでいて非常に楽しいのが本書の特徴だ。DARTHREIDER氏の文章は非常に読みやすく、分かりやすい。くわえて、著者本人の体験に基づいて書かれている部分が非常に大きいので、全てのエピソードに躍動感があり、引き込まれる。

 

 

フリースタイルバトルで負けたあげく、相手のラッパーの取り巻きに舞台から引きずり下ろされボコボコにされた話や、「フリースタイルダンジョン」でラスボスを務めるラッパー・般若が審査員による判定に不服を申し立て、仲間のラッパーも巻き込んで一触即発状態になる話など、過去のヒップホップシーンがまとっていたアングラな空気がビリビリ伝わってくるようなエピソードが随所に散りばめられている。

 

 

かといって、自分語りの方向にも傾きすぎず、当時のヒップホップシーンを取り巻いていた環境を踏まえた上で「なぜこのようなことが起こったのか」という分析を常に怠っていない。たとえば、般若の件に関してなら、当時のヒップホップ界を取り巻いていた反体制ムードと、フリースタイルバトルの経験があまりない審査員とラッパーの間の認識のズレ、という点をしっかりと指摘して書いている。読者を退屈させず、さらに論理的にもしっかり筋が通っているという、入門書として絶妙なバランスを保ちつつ書かれているので、非常に読みやすいのだ。

 

 

「ラッパー列伝」としての側面も

 

 

また、本書の特徴として、それぞれのラッパーの紹介、分析を非常に丁寧に行っている、という点が挙げられる。

 

 

実は、今これを書いている僕も、「フリースタイルダンジョン」から日本語ラップの世界に興味を持ち始めたクチなのだが、そういった層の視聴者にとって、ラッパー達の像はかなり曖昧なのではないかと思う。

 

 

ラスボス・般若がなぜあれほど強いとされているのか。呂布カルマに「バイバイ  過去のキング」と罵られた漢  a.k.a  GAMIはどのような立ち位置にいるラッパーなのか。毎週登場するモンスターやチャレンジャーは何をもって強いとされているのか。彼らにはどんな背景があり、他のラッパーたちとはどんな因縁があるのか。

 

 

……などなど、様々な疑問を抱きつつも、毎週番組を見てなんとなく湧いていたのだが、この本を読むことでそれがかなり解消され、ラッパーたちの像が随分明確になった。たとえば、僕は今まで「漢さんって皆からリスペクトされてる割にはあんまりフリースタイルバトル強くないよな」と思っていたが、この本を読んだ今では番組内であまり勝てないところも含めて漢さんをめっちゃかっこいいと思うようになっている。

 

 

ラッパーにはそれぞれのスタイルがあり、背景があり、思想がある。それが色濃く出るのがフリースタイルバトルなのだ。ただの器用な言葉のサーカスとしてフリースタイルバトルを見るのもいいが、ラッパー同士の思想のぶつかり合いとして見てみると、また違った面白さがあり、楽しめる。少なくとも僕は、本書を読むことで、フリースタイルバトルをこれまでより何倍も楽しんで見れるようになった。フリースタイル好きの友人との会話のネタ帳にもなるだろう。

 

 

フリースタイルダンジョン」を見て、日本語ラップの世界に興味を持ち始めたという方には、是非是非、強くおすすめしたい一冊である。

 

 

 

MCバトル史から読み解く 日本語ラップ入門

MCバトル史から読み解く 日本語ラップ入門