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【書評】戦後日本を冷えた眼差しで、感傷的に描く。『誰か故郷を想はざる -自叙伝らしくなく』 寺山修司 著

寺山修司がそれほど好きではなかった。
 
 
いや、正確に言うと、今もそれほど好きではない。なんだか、エッセイを読んでいても、戯曲を読んでいても文章の端々に「こんな俺、かっこいいやろ?」みたいなドヤ顔が透けて見えるようで、なかなか好きにはなれないのだ。
 
 
そんな僕だが、ごく稀に、なんだか寺山修司が読みたくなる時がある。昨日もまた、唐突にその感に襲われたので、一昨年くらいに古本屋で買って放置していた『誰か故郷を想はざる』を読んでみることにした。
 
 
 
 
この本は、寺山修司の自叙伝という体をとって進行する。だが、副題に「自叙伝らしくなく」とつけられている通り、語られるのは寺山自身の人生ばかりではない。むしろ、寺山自身を傍観者として、第二次世界大戦終戦直後の日本を生きた様々な人々の生活を描く「群像劇」としての側面が強いような気がする。
 
 
第二次世界大戦直後と言えば、当時の日本の状況は言うまでもなく悲惨である。街は滅茶滅茶に破壊され、食べる物もロクになく、これまで自分たちを支えていた勝利への希望も、もはやない。言うなれば、国民全員が超絶負け組モードなんである。
 
 
そんな中で彼らは、戦勝国であるアメリカの兵士におもねって菓子やタバコをねだったり、耐えがたい空腹を癒すためにセミを調理して食べたり、博打に没頭したり、見世物小屋での労働に身をやつしたりする。
 
 
そんな人々の生活を極めて客観的に、冷たい筆致で描く本書からは、「強く生きる」ということへのポジティブさも感じられない代わり、「敗者として生きる」ということへのネガティブさも感じられない。
 
 
ただ、人々は、刻一刻と過ぎて行く目の前の生を享受する。そんな中で、死ぬ人間もいれば、生きる人間もいる。
 
 
安直な希望や絶望への信仰を放棄した人々の生き様と、寺山修司特有の冷たく、それでいてどこか感傷的なかっこいい文体との調和が、読んでいて心地よい一冊であった。
 
 
もっとも、エピソードの最後を他者の本からの引用で締めるようなやり方は「カッコつけてるなぁ」と感じて相変わらず好きになれなかったのだが。その中で一つだけ、異常に気に入ってしまった文章があった。有名な作家の本からの引用ではない。寺山と同じ小学校に通っていた生徒が残した、遺書からの引用である。
 
 
ピアノを習っていた彼は、「ショパン」と「ションベン」をあわせて、皆からからかい半分に「ショベン」と呼ばれていた。そんなショベンだが、乳癌で母を失ってしまったことにより、自殺する。今回はちょっぴり本書をリスペクトして、引用を最後に持ってきてみたいと思う。
 
 
彼の遺書には、次のように書かれていたらしい。
 
 
 
「ぼくは、母さんの遺品の指輪をはめて自慰するときしか、勃起しませんでした。あの、つめたい金属の指輪がぼくのとこすりあってしだいに熱くなってくるとき、ぼくは母さんと一緒になっているように感じました。
お母さん、ぼくはあの大切な指輪を今日、失くしてしまいました。すみませんでした。
もう生きてるたのしみもないので、お母さんのところへ行きます。学校のみなさん、いろいろとありがとうございました。」
 
 

 

『誰が故郷を思わざる』角川文庫版   P73〜74「自慰」より